「美しい経験-The Beautiful Experience-」
渡邉野子展
2020年
10月11日(日)ー11月15日(日)
はじめに
新型コロナウイルスの影響で不幸にもお亡くなりになられた方や、そのご家族の方に心よりお悔やみを申し上げます。また、この感染症対策のために、日々努められているすべての方に敬意と感謝を表します。
コンセプト
近作のコンセプトの一つは「対比における共存」です。それは「相容れないものが出会う一瞬間を絵画の美しい状態として表すこと」です。異なるものの対立は人生で絶え間なく起こります。それを軋轢や不調和として見るのではなく、「互いが輝くためのもっともインタラクティブでアクティブな瞬間としたい」と私は考えています。わからないものとの突然の出会いは、新しい世界に向き合い変容する自分との出会いであると考えています。
新型コロナウィルスと共にある日常は、「自由であること」について再考する日々となりました。行動を見直し、他者との距離を探り続け、多くの人と対応について考える中で感じたことは「皆、考えていることや、大切にしていることが違う」という気づきであり、終わりの見えない状況に対処し続けていく方法を考えなければならないという漠然とした不安でした。先の見えない、正解のわからない状況の中を手探りで進むにあたり、全体と個の双方への配慮が最大限になされるように努める中で、ともすれば「自分が存在すること」を見失ってしまいそうになる戸惑いが湧き上がってきました。他者や全体への熟慮を持続的に寛容性をもって成すためには、同時に「自分が大切にしたいものは何なのか」という自己との正直な対話や、自分のニーズを受け止めることが必要であり、「自分が大切にしたいものによって、自分が成立すること」が、肯定的に生きるための希望となると、強く思うようになりました。
その人をかたちづくる「大切なもの」。それは、その人にとって美しいものです。「美しい経験」の共有は、他者に大きな気づきをもたらしてくれると考えています。「美しいものが他者との関わりを豊にしてくれること」を、今だからこそ確かめたいという思いがこの展覧会の根底に流れています。直接的に会えないことが多いこの時期だからこそ、なんらかの方法を通して、互いの美意識に触れることの大切さを実感したいと考えています。
「私の絵はわからない絵画です。絵画は理解するものでなく、経験し感じること。観る人が自らのクリエイティビティと可能性を発見するための選択肢に満ちた場にしたい。」
「絵画にしか存在しない線と色」をつくり、「官能性を働かせて観ること」を提示したいと考えています。目に見えない、自分自身でさえも気づいていない内在する偏見や、既存の価値観、さまざまな呪縛から個々が自己を解放し、新しいフレームで、自分自身にとって本当に必要な価値に気づくことにより、社会が動き始めると考えています。
今回の展示に向けた制作プロセスをSNSで発信しました。絵の完成までに何が起こっているのかをご覧いただくことで、絵画を見る楽しみが増え、より身近に感じていただけるのではないかと考えました。
もっとも自由な方法で世界を観ることができるアイデアに溢れたもの、それが絵画であると信じています。 本展が、アートを通じた開かれた対話の場になることを心から願っています。
2020年10月11日
渡邉 野子 (画家・美術家)
今回の展覧会に向けて制作中の作品画像を、フェイスブックとツイッターで観ていただくプロジェクトを実施しました。今回初めてのこの試みは、制作時の前後に写真を撮り、毎回3つのコメントとともに、SNSにアップをするというものです。これまでに多くの方から「どのように描いているの?」「どこから始まりどこから終わるの」などの興味深い質問をたくさんいただいていましたので、絵の前に立つ人が、絵との対話を深めるためのきっかけになればと考えました。絵の完成までに何が起こっているのかをご覧いただくことで、絵画を観る楽しみが増えたり、より身近に感じていただければ嬉しいです。SNSやこのチラシで制作過程をご覧くださった皆さんと、お話できるのを楽しみにしています。
(作家)。
2020年8月11日
10月予定の展覧会に向けて準備しています。
新作を描き始めました。
横にしたり縦にしたり、完成はどうなるのかな。
2020年8月13日
完成した作品には、ピンクが見えるといいなと考え、色を置きました。
塗り重ねても、最終的には鮮やかになるように進めたいです。
作品も私も、どこに行ってもいいよ、みたいな感じで。
2020年8月16日
構造物のようなものを描くのに興味があります。
支えるもののように見えるけれど、不安定で、絵画の中でしか存在しない形。
相容れないものを一緒に存在させるためのひとつのリクエスト。
2020年8月17日
今日から油絵の具で描き始めたのでスタジオの匂いが変わった。
描いた時の艶や鮮やかさ、筆跡の厚みを絵の前に立つ人と共有したい。
画家が作品と対話した歴史を、油絵の具が見る人に届けてくれるような気がして、それが私が油絵を描く理由。
18 August 2020
絵の具を塗り重ねるとぺったんこになることもあるので、今の段階では遠い奥行きを作ることを目指しています。
体が同じ動きをしないように、偶然も必然もコントロールしながら。
予期せぬ空間の中に、人々が立てるように。
20 August 2020
今日、絵を眺めるためにスタジオに来た。
絵を観察しながら、絵を観察している私自身の、選択や決断を観察している。
未分化な絵画の中には動き出そうとする兆しがたくさんあり、何が起こるか私にもまだわからない。
21 August 2020
少し間をとっている理由は、次のステップが作品の1つの方向性を決めそうだから。
「この感覚を表現したい」とあらかじめ考えていても、思いがけない出会いのために方向転換したり、体が違う方向に行くこともある。
失敗も受け入れ、安定も壊せるよう、今は、細部に強さや美しさがより多く感じられるこの向きで行こうかなと思う。
22 August 2020
描いた数分後に消されてしまう線もあるが、それは間違いではなく、次の線が生まれるためのきっかけとなり、完成作品が持つ層の一部となる。
全画面に油がのって、筆跡がキャンバスの表に出てきた。
今日、描き始める前と後で、空間が変化し、横向きにも新しい形が見えた。
23 August 2020
昨日最後に見た時より絵の具が引っ込み、画面が暗くなっていたので、全体を明るく引き上げることからスタート。
彩度や明度の高い色が下の層をより暗く見せてしまっていたので、そのような部分は自分の気に入っているところでも思い切って違う色に塗り替えた。
面の平坦でシャープな表情と、線のバリエーションが新しい場面をよんでくる。
25 August 2020
絵を、相容れないものが、美しい一瞬間として出会う場所にしたい。
感覚の対比をモチーフにしながら、もう一度奥行きを作る。
抽象と具象のあいだにある形を使い、見る人の自由な想像力を広げたい。
28 August 2020
1本の線の中に人工的なものと自然的なものを表現する。
1本の線の中に立体感を表現する。
1本の線が空間を定義する。
5 September 2020
(Painting in progress... の下の斜め画像)
選択肢は無限にあり、迷いを深くする。
捨てなくてはならないものの多さにも気づく。
私は線に聴いてみる。
6 September 2020
何かを表し始めているいる部分と、まだ絵具を塗っただけの部分があるので、同じステップに引き上げる。
絵が、すべて必要なもので満たされるように、画面全体の空間の動きと、それぞれの細部を同時につくる。
絵の方向性は限りがなく、私は注意深く、そして自由に対話しなければならない。
6 September 2020
複雑な色の重なりの中に、人や自然の日常の動きを見ることもある。
線は、曖昧で未分化な絵具の塊の中に現れ、また、その中に吸収される。
生きた線もあればそうでない線もあり、線が生きるように描く。
12 September 2020
大切なものを際立たせるために、いくつかの要素を新たに描き加える。
描き加えると、それまで絵をリードしていたものが消えて無くなり、絵の場面が転換するような感じ。
光をつくる。
15 September 2020
線は、速さと遅さを表現し、堅さと柔らかさも表現する。
明快さの象徴でもあり、曖昧さを示す役割も担う。
色は、線が生み出す感覚のイメージを、広げることもあれば、限定することもある。
15 September 2020
経験や体験は体の中に残っており、意識しなくても線を通じて現れることが面白い。
白い線は迷いなく、今日ここに、現れた。
これが、観る人の感覚に触れることができるかどうか、まだわからないが、未来に向かっている。
20 September 2020
上部の線がはっきりと見えるように、下部を上部とは違う表現にした。
全体の印象を明るくするために、細部の色や筆あとを整理した。
終わりが近づいてきた感覚がある。
20 September 2020
同じ色を使っても、形や筆あと、位置が異なると、違うメッセージを伝えることができる。
絵の面白さは、時間の感覚を作れることだと思っている。
多くのものが混在し、どのような空間や時間が流れ始めるのかを観察したい。
22 September 2020
作品が完成したかどうかは、体が教えてくれる。
それまで体の中に、塊のようなものとして存在していた何かが、消えてなくなり、すべてが腑に落ちる感じ。
前回の作品と違う方法で完成したことが、絵画への興味を持ち続けさせてくれる。
私の制作テーマのひとつは、絵画における「線の表す領域」によって、観察者が自身の身体、時間、空間のふくらみなど、不可視のものの在り様を知覚することです。画面上で線はそれぞれに役割を与えられ、時系列的な層でなく、お互いが交差し絡み合いながら全体としてひとつの連続した状態を生み出しています。絵画が示すもの、それは何かが崩れる前の一瞬間や未完の絵画の歴史です。そして、振動するのは崩れゆく事物や移ろう時間ではなく自身の身体であり、不安定な私達の身体を前にして、絵画は「ここ」と「いま」を提示しながら私達に触れています。世界のすべてが変化しても変わらないものを絵画のなかに表現することが私の関心事のひとつです。