​西山功一 

「写真」や「作品」についての文章は何回書いたことだろう。 初めは言葉にする理由がよく理解できないながらも、周りの要請によって書き始めた。 満足できる言葉にはできなかったが、明日も写真を撮ってみたいみたいモチベーションにもなっ たので、その経験は良かったのだと思う。

ある時期になってから写真を撮り始めたのは、子供の頃から感じながらも保留にしてきた外の世 界との違和感を、どうすれば良いのかわからなかった時に手元にカメラがあり写真があったから だ。 一枚一枚写真を撮り始め、得られた像を眺めていた時は、作品という意識はほとんどなかったは ず。 それでも何かしらの接点のある写真を集め、タイトルという名札を貼ると作品になり、誰かに見 せると大事な話ができることを知ってから、今でもそれを続けている。

そして撮影の経験を延長することから空間を設計することになったり、尊敬する人たちを集めて 展覧会などの機会を造ることも行いだした。その時その時の探求の結果として様々な形になった が、写真のフレームを確かめるように「アーティスト」「写真家」などのフレームを確かめている のかもしれない。

ところで私が感じた違和感とは、壁に映った光の斑点や大事だった人の姿と、生きていくことの 中で求められることはなんでこんなにも違うのだろうか。というような誰かと共有の見込みのな い話だったはず。 現実にとても似ているけれど、どうしようもなく違う写真にはいつも驚かされ、それをきっかけ に何かを造り続けているのは、そんな素朴な感情との和解を感じられるからだ。

プロジェクト
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not to disappear

かつて萩荘だったこの建物には、嬉しかったり悲しかったりした生活の物語が染み込んでいて、今でも様々な表情を持っている。
そしてこれからも多くのものを受け入れて、未来も豊かにあるだろう。
この試みでは、ここにあるものを軸に小さな変化を起こし、微かに空気を入れ替えるようなことをしてみた。
この豊かさの中では、透明になりながら少し視点を変えてみるだけで、空間の成り立ちや原理に近づけるのではという気がした。
それはここにいない大事な人の姿をおもうような、私たちの日々の営みにも繋がるはずだ。

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architectural photography

私は私が生活している東京近郊の住宅街の建築物を撮影している。 
寡黙である建築物という身近なモチーフは、見ることの経験について考え直すために適していた。 
そして平面化されたイメージの集積から、何かしらの関連性を見出す作業を続けていたが、 
"光によって見えること"に近付くためには、写真を使った今までの制作の手法を再構築する必要を感じた。 
それは私にとって、写真のフレームから逸脱する新たな制作の始まりとなった。 
やがて様々な試行錯誤を繰り返し、モチーフである建築に接近しながら空間との連続性を持つようになった。

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nowhere

私が子供の時に住んでいた家の近くには森がありました。
森があった頃、そこでは世界の深い部分との繋がりを感じることができました。
しかし森は時間を掛けて崩されてゆき、喪失の過程だけが残り続けました。
現在の私はそことは距離を置いた場所に住んでいます。
私が住んでいる都市の周縁の風景を眺めていると、既にどこにも無い風景と重なることがあります。
私はその重なりに沿って行き着くところまで歩き続けてみました。
そして辿り着いた先では、何かを喪失し続けている空間が柔らかい光に照らされていて、世界との繋がりは再び取り戻せるのだと気づけるのです。

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曖昧さ 西山功一

2020年 9月12 日(土)ー 10月4日(日)

 

 

 

 

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